イスタンブールの塔7選 乙女の塔からガラタ塔まで完全ガイド

火事を知らせ、時を告げ、恋の伝説まで生んだ塔たち。イスタンブール(İstanbul)には、現代の高層ビルとはまるで違う物語を背負った塔が点在します。乙女の塔からガラタ塔まで、歴史をたどりながら実際に訪れたいイスタンブールの塔を7つ紹介します。

1. ベヤズット塔

イスタンブール大学ベヤズットキャンパス内に立つベヤズット塔

イスタンブール大学ベヤズットキャンパス内に立つベヤズット塔(Beyazıt Kulesi)は、1749年の大火をきっかけに火災監視塔として建てられました。木造だった最初の塔は火災と反乱で傷み、1828年にスルタン・マフムト2世の命でセネケリム・バルヤンにより石造で再建されています。高さは約85メートルです。

火を見つけた見張り番が「アー(主人)、子供が生まれました」と暗号のように叫び、「男の子か、女の子か」で火元のエリアを伝える仕組みがあったと伝わります。これはアナトリア側や黒海側の火災を「女の子」、旧市街側を「男の子」と呼び分けた、当時の緊急連絡の工夫でした。共和国時代にも気象信号塔として使われ、緑は翌日の雨、赤は雪、黄色は霧、青は晴れを示したといいます。1995年に一度終わったこの運用は、2010年に復活しました。塔自体は2013年から博物館です。

火の見櫓という役割からは意外ですが、1968年には学生運動の舞台にもなっています。

住所:イスタンブール大学ベヤズットキャンパス内、ファーティフ区(Fatih) アクセス:トラムヴァイT1線「ベヤズット・イスタンブール大学」駅から徒歩すぐ 注意点:大学構内にあるため、一般公開日や入場条件は訪問前に公式情報で確認することを勧めます。

2. ガラタ塔

イスタンブールの塔の代表格、ボスポラス海峡を見渡すガラタ塔

世界最古級の塔のひとつとされるガラタ塔(Galata Kulesi)は、正確な建設年が定まっていません。507年のユスティニアヌス帝、あるいは528年のアナスタシウス帝による灯台塔だったとする説が伝わっています。ビザンツ時代の呼び名は「大きな塔」。1204年の第4回十字軍で破壊された後、1348年に積み石造りで再建されました。手がけたのはオスマン帝国ではなく、ジェノヴァ人です。

オスマン帝国領になった後、1509年の地震で損傷し、建築家ハイレッティンが修復を担いました。16世紀にはカスムパシャ造船所で働くキリスト教徒の捕虜を収容する監獄としても使われました。転機はスルタン・ムラト3世の時代です。天文学者タキユッディンによる天文台が置かれ、不名誉な時期は終わりを迎えました。

1638年には飛行家ヘザールフェン・アフメト・チェレビがこの塔から木製の翼で飛び、ウスキュダル(Üsküdar)のドアンジュラル(Doğancılar)まで滑空したと伝わります。この飛行はヨーロッパでも話題になり、英国で版画にも描かれました。その後も火災や1875年の暴風による尖塔の損傷など被害が続き、現在の姿は1965年から2年かけた修復で整えられました。長年にわたり転落事故の現場にもなってきたことから、現在は安全対策としてガラス製の保護柵が設置されています。

展望階からの眺めだけを目当てに上ると、灯台、監獄、天文台と役割を変えてきたこの塔の長い歴史は見落とされがちです。

住所:ビュユク・ヘンデキ通り(Büyük Hendek Caddesi)、ベイオール区(Beyoğlu) アクセス:トラムヴァイT1線「カラキョイ(Karaköy)」駅、またはメトロM2線「シシハーネ」駅から徒歩約10分 注意点:展望階は混雑しやすく、チケットは公式サイトでの事前予約がおすすめです。

3. 乙女の塔

ウスキュダル沖の小島に立つ乙女の塔

ウスキュダルのサラジャク沖の小島に立つ乙女の塔(Kız Kulesi)は、古代には「アルクラ(小さな城)」と呼ばれていました。紀元前410年、アテナイの将軍アルキビアデスがボスポラス海峡(Boğaziçi)を行き来する船を監視するための塔をここに築いたのが起源とされます。紀元前341年には、ギリシャの将軍カレスが妻のために記念墓を建てたことで、軍事施設から記念碑的な意味合いも帯びるようになりました。12世紀にはビザンツ皇帝マヌエル1世コムネノスが防衛拠点として塔を再建し、海峡の船を監視しました。1453年のイスタンブール征服後、ファーティフ・スルタン・メフメトはヴェネツィア人が拠点としていたこの場所を壊し、大砲を備えた小さな城を築きます。ただし、その役割は防衛より演出でした。祝祭で大砲を鳴らす舞台として使われたのです。

17世紀には灯台が加えられ、1719年の火災で内部の木造部分が焼失、その数年後にネヴシェヒルリ・ダーマト・イブラヒム・パシャの手で鉛葺きの屋根と石造の灯台部分に改修されています。オスマン帝国末期の1830〜31年のコレラ流行、1836〜37年のペスト流行の際には検疫病院として使われ、感染症の市中への広がりを防ぐ役割を担いました。2000年に一般公開が始まり、現在はレストランを併設する観光地です。

史実とは別に、よく知られる伝説があります。王が占い師から「娘は蛇に噛まれて死ぬ」と告げられ、娘をこの岩礁の塔に隔離したものの、恋をした若い兵士が贈った花束に蛇が隠れていて、予言のとおり命を落としたという物語です。

別の伝承では、バッタル・ガーズィーがこの塔を襲い財宝とウスキュダル太守の娘を奪って馬で逃げたという話があり、ここから「馬を得た者はウスキュダルを過ぎ去った(手遅れになってからでは遅い、という意味の言い回し)」という表現が生まれたとされます。乙女の塔は映画にも登場します。1993年公開のトルコ映画『乙女の塔の恋人たち』、そして1999年公開のジェームズ・ボンド第19作『ワールド・イズ・ノット・イナフ』のラストシーンです。ウミット・ヤシャル・オウズジャン、ベドリ・ラフミ・エユボール、オルハン・ヴェリ、スナイ・アクンら、トルコの詩人たちもこの塔を題材に詩を残しています。

住所:サラジャク、ウスキュダル区 アクセス:ウスキュダルまたはカバタシュから出るフェリーで乗船 注意点:フェリーの時刻と最終便の時間を事前に確認してください。

4. ドルマバフチェ時計塔

ドルマバフチェ宮殿前に立つ時計塔

ドルマバフチェ宮殿(Dolmabahçe Sarayı)の前に立つ時計塔(Dolmabahçe Saat Kulesi)は、スルタン・アブドゥルハミト2世の治世下、宮殿建築家サルキス・バルヤンによって1890〜1895年に建てられました。アブドゥルハミト2世はイスタンブールをはじめアナトリア各地に時計塔を建てたことで知られます。なぜそこまで時計塔にこだわったのでしょうか。礼拝の時間や火災の知らせ、天気の情報を市民に伝える目的があったといいます。

バロックとアンピール様式を取り入れた高さ約27メートルの塔には、94段の階段があります。1階の各面には温度計と気圧計が組み込まれ、「嵐・風、雨、変わりやすい、良い天気、安定した天気」というオスマン語の表示が今も残っています。2階の正面を飾るのは、1882年にアブドゥルハミト2世が加えた、天秤と武器を組み合わせたオスマン帝国の紋章です。時計機械はフランスから輸入されたポール・ガルニエ製。1979年に一部が電子化されたものの、今も週に一度のねじ巻きで動き続けています。2013年のゲジ公園抗議運動の際には、当時のイスタンブール知事ヒュセイン・アヴニ・ムトゥルがこの塔の下で抗議参加者と会談しました。

住所:ドルマバフチェ宮殿前、ベシクタシュ区(Beşiktaş) アクセス:トラムヴァイT1線「カバタシュ」駅から徒歩約5分 注意点:塔自体の内部には入れず、外観の見学となります。宮殿の見学時間は別途公式情報で確認してください。

5. ユルドゥズ時計塔

ユルドゥズ宮殿敷地内の時計塔

ベシクタシュのユルドゥズ宮殿敷地内にあるユルドゥズ時計塔(Yıldız Saat Kulesi)は、時計塔好きとして知られるアブドゥルハミト2世が、1889〜1890年に建築家サルキス・バルヤンへ依頼して建てました。ハミディエ・モスクの庭にあることから「ハミディエ時計塔」とも呼ばれ、オスマン様式とネオゴシック様式を組み合わせた八角形の設計です。高さ約20メートルの3階建てで、1階には銘文、2階には温度計と気圧計、最上階には時計室が備えられています。天気を知らせる計器を備える点は、ドルマバフチェ時計塔と共通しています。1905年7月21日、この塔の前で事件が起きます。アルメニア革命連盟によるアブドゥルハミト2世の暗殺未遂です。詩人テヴフィク・フィクレトは、この暗殺未遂にちなんだ詩の一節を残しています。

塔は1993年に修復を受けています。

住所:ユルドゥズ公園内、ベシクタシュ区 アクセス:バスまたはタクシーでユルドゥズ公園入口へ。ベシクタシュ中心部から徒歩約20分 注意点:公園内の移動には坂道が多いため、歩きやすい靴での訪問がおすすめです。

6. トプハーネ時計塔

トプハーネに立つ現存最古の時計塔

ヌスレティエ・モスクの隣に立つことから「ヌスレティエ時計塔」とも呼ばれるトプハーネ時計塔(Tophane Saat Kulesi)は、現存するイスタンブール最古の時計塔です。スルタン・アブドゥルメジトの命で1848〜1849年に建設され、建築家は記録上バリ・バルヤンとされていますが確証はありません。

高さ約15メートルの4階建てで、海側を向く入口の上にはアブドゥルメジトの花押(トゥーラ)が彫られています。イオニア式の柱頭とアンピール様式の装飾が特徴です。文字盤には古いトルコ語で「ゼニス(Zenith)」の文字が読み取れます。1913年の火災の後、1950年代のアドナン・メンデレス政権下の道路工事に伴い、海岸沿いの元の位置からイスタンブール近代美術館前の現在地へ移されました。2010年の欧州文化首都事業での修復計画は実現しませんでした。残念ながら、4つあった時計盤のうち現存するのは2つのみです。

約27メートルのドルマバフチェ時計塔、約20メートルのユルドゥズ時計塔と比べると、約15メートルのトプハーネ時計塔はひときわ小ぶりです。それでも建設はほかの2基より40年ほど早く、ドルマバフチェ時計塔と同じく内部には入れません。中に入って景色を楽しむならガラタ塔や乙女の塔、外観と装飾を味わうなら時計塔と考えると、回る順番を決めやすくなります。

住所:イスタンブール近代美術館前、トプハーネ、ベイオール区 アクセス:トラムヴァイT1線「トプハーネ」駅から徒歩約3分 注意点:内部には入れず、外観の見学のみです。

7. エトファル病院時計塔

シシリのエトファル病院敷地内に立つ時計塔

シシリ(Şişli)にあるエトファル病院時計塔(Etfal Hastanesi Saat Kulesi)は、スルタン・アブドゥルハミト2世が、生後8か月でジフテリアにより亡くなった娘ハティジェ・スルタンを偲んで建てたハミディエ・エトファル病院の敷地内に立っています。塔はイタリア人建築家ダロンコの設計で、1907年にムヒェンディスハーネ・イ・ヒュマユンの講師マフムト・シュクリュ・ベイの監督のもと完成しました。同年、塔の下には小さな礼拝室も加えられています。

実は、病院のオリジナルの建物のうち、現存するのはこの塔と礼拝室の2つだけです。

高さ約20メートルの正方形の塔は、赤レンガと白い大理石を組み合わせた外観が特徴です。各階には、高くとがったアーチ窓が配されています。時計室へは螺旋状の鉄製階段で上がり、正面にはアブドゥルハミト2世の花押を彫った4枚の銘板が並びます。時計面が示すのは、トルコ式とヨーロッパ式の両方の時間。文字盤の数字は磁器に黒で描かれ、夜間は照明で照らされていたと記録に残ります。塔の最上部では、バルコニー状の縁飾りを控え木が支えており、全体が山高帽をかぶったような輪郭を描いています。

住所:シシリ・エトファル病院敷地内、シシリ区 アクセス:メトロM2線「オスマンベイ」駅から徒歩約10分 注意点:病院敷地内のため、見学時は静かに行動してください。

参考:文化観光省ミュージアムポータル「ガラタ塔ミュージアム」、乙女の塔公式サイト、国立宮殿局「ドルマバフチェ宮殿」公式ページ

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